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ソグド人の美術と言語

ソグド(ソグディアナ)は、中央アジアの二つの大河、オクサス(アム河)とヤクサルテス(シル河)に挟まれた地域をさす古い名前である。
BC5世紀のアケメネス朝ペルシャ帝国王・ダリウスの碑文に、「ソグド」の名前が記されている。また、BC5世紀のヘオドトスの「歴史」にも、「ソグド」の記載がある。
その後、「アレクサンドロス大王東征記」にも、「ソグドのサマルカンドを制圧した」と記録されている。一方、中国の「後漢書」(3世紀)には、“「栗弋(りよく)」が唐居(とうきょ)の支配を受けていた”という記録がある。これは、「粟弋(ぞくよく)」と呼ばれていた「ソグド」の誤写のようであり、ソグドの名前が登場している。
ソグド人は、インドのクシャーン朝の影響で、「交易」を始めた。だが、ソグドは、クシャーン朝の支配を受けていたというわけではない。

ソグド地域の支配は、4世紀後半~5世紀後半は「キダーラ」、5世紀後半~560年は「エフタル」と代わる。そして、560年に、「西突厥(とつくつ)」が、ソグド以東のシルクロードを制圧する。西突厥が、ササン朝のホスロー王と組んで、エフタルを滅ぼしたのである。その西突厥は、657年に唐に滅ぼされる。そして、ソグド人は唐と親しくなり、唐にソグド文化(胡文化)ブームをもたらす。
そのソグド地域は、722年に、アラブ勢力がサマルカンドを攻めた時に、滅ぼされる。イスラム勢力が、オアシス国家を平定する。そして、オアシス国家全体が、イスラム化するが、ソグド文化は残る。

オアシス国家は、一つの都市ごとに独立していた。サマルカンド、ブハラ、クシャーニヤ、ペンジケント・・・・・・各オアシスが、それぞれ独立して国家をつくっていた。
その中で、サマルカンドの領主だけが、「ソグド王」の称号を持っていた。
ソグド文化は、シルクロードで運搬していたものから学んだ。中国の絹織物、ヨーロッパの金銀製品から、独自の織物、陶器を生み出した。交易をしながら、地元で作ろうという努力の結果である。地元の宗教は、ゾロアスター教(祆教・けんきょう)であり、その影響を受けた装身具なども作られた。
唐代の金銀食器に「把手付きの杯」があるが、これは(従来の中国にはない)ソグドからの輸入品である。ソグドで新しい型式を生み出した。
中国の経錦(たてにしき)を学んで、緯錦(よこにしき)の絹織物も生み出した。
このソグド文化(胡文化)は、日本にまで伝わる。

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東京都武蔵野市で生まれ、杉並区に住んでいます。

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